【20周年企画】 NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BBED)
「すごく変な仕組みで・・・」

 

2009年に協働を終えたNPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センターの玉田ご夫妻に、協働に至るまでの経緯から、協働の様子について話を伺った。

▼インタビュー(取材:2023年4月18日(火))

 

(Q)2006年当時、SVP東京の投資・協働に応募したきっかけ、理由は何でしたか?

(玉田雅己)当時、何かしなければという思いでいろいろな勉強会に出かけたのですが、ソフト化経済センターでの勉強会でSVP初代代表の井上英之さんと知り合って、そこから伝手ができて、応募に至ったのだと思います。

(玉田さとみ)もともとは、二男が耳が聞こえなくて、どう育てようかと考え、ろう学校に行ったら手話を禁止していました。しかも昭和初期かと思うような、叩いて教えるような体質だったのですね。すごくショックを受けて、いろいろ調べていく中で、海外では手話でろう児を育てているということがわかりました。日本では「龍の子学園」というフリースクールができて1年目で、スタッフがほぼ全員ろう者の若者だと知って参加することにしました。

その後ろう学校で手話を認めてもらうために、同じ思いを持つ親たちと一緒に活動を始めたのですが、教育界の壁は厚くて崩せませんでした。

そうしているうちにも子どもはどんどん大きくなるので、どうにかしなければいけない。フリースクールの「龍の子学園」をNPO法人にして少しずつ社会的に認められるような形を作り、助成金をいただいて運営していましたが、NPOが運営しているフリースクールは、当時の教育界では何の力もなかった。

それで「学校にするしかない」という話になり、その時たまたま構造改革特区という制度があったのですが、制度の内容もよくわからないまま、でもそれに向かって、本当にがむしゃらに、全てに手をつけるような形で動いていたところでした。

夫が参加したソフト化経済センターの集まりもろう教育とは関係ないじゃないですか。でもそういうところにも行って、「井上さんという人と知り合った。SVPというのがあるらしい」とわかり、SVPのホームページを見たのですが全然ちんぷんかんぷんなのですよ(笑)。説明会に行ってもカタカナばかりで、「日本語だよね??」と。全然何を言っているかわからないのです・・・。

それまで、いろいろな助成金を獲得してきていたのですが、ちょうど「助成金はお金を獲得するだけじゃない」ということに気がつき始めていた頃で、助成する団体や関わる人たちの気持ちをもらう、それが鍵になるのかなと。

それまで助成金の申請はすべて紙ベースで、SVPのようなプレゼンは初めてでした。プレゼンの持ち時間が20分。

あのプレゼンは今でもしっかり覚えています。私たちの前がマドレボニータで、バランスボールを使ったパフォーマンスに圧倒されて、「私たち地味だけど大丈夫?」という気持ちになりましたから。

忘れもしないのは、私よりずっと若い、35歳ぐらいが中心かなという世代の人たちに、「私たちが支援しているのは、耳が聞こえないかわいそうな子じゃありません。手話で話す『目の子』です」という話をした時に、みんなの表情が変わったんです。

みんながそこで「へぇーっ」と、「かわいそうな子だから支援してあげよう」「障がいを持っている子どもの教育だから支援する」ではないのだと。私たちの子どもは生まれた時から聞こえないので、聞こえないことが普通です。「それが何か?」と言える子どもを育てたいですという話をしたのです。

その時、声を上げるわけではないのですが、リアクションがすごく、何かすごくいい感じになった。空気がふわっとその時に変わった気がして。

最終的に1年で1億円、最初の半年で約7,500万円集めたのですが、そのスタートがあの20分のプレゼンだったのです。そこから怒涛のように学校づくりが始まった。

プレゼンではみなさんに、「寄ってたかって一緒に学校を作ってください」と言いました。

当時のパートナーの鵜尾雅隆さん(現在、認定NPO法人日本ファンドレイジング協会代表理事)から、「一緒に夢を実現してくださいと言われるのは初めて」だと言われました。「支援してください」ではなくて、「一緒に作りませんか」が面白かったと。

 

(Q)時系列を確認すると、2006年の年末にSVPの投資・協働が決まり、2007年1月から協働が始まっています。ただ、協働が正式に始まる前から、パートナーが一緒に動いていたのでしょうか?

(さとみ)そうです。すごく変な仕組みで、全然理解できませんでした(笑)。

パートナーの伊藤健さん(現在、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授、NPO法人ソーシャルバリュージャパン代表理事)と一緒に、協働が決まる前から東京都に特区の調整などに行っていました。でもなぜ来てくれるのかよくわからないし、「交通費を払わないといけないですよね?」と聞くと、「必要ありません」と。

本来、学校法人は建物を所有していなければいけないのですが、そこは借用でもいいという特区のメニューを使いました。ただ、東京都と準備を進める中で、「1年間の経費を現金で持ってください。借金はだめです。通帳に現金が入っていること」と言われたのです。

そして、「1年間の計画書・予算書を出しなさい」と言われた時、50万円ぐらいしか貯金がないNPOにとって、学校法人を1年間運営するのに一体いくらかかるのか、全くわかりませんでした。社会保険がどのくらいかかるかとかも。

実際に学校を作る場合、学校法人と、学校法人が運営する学校を作らなければいけないのですが、私たちには「学校法人」と「学校」の違いから分からない。

そして、「1年間にいくら要りますか?」と聞かれても全然わからなくて、「4,000万円?」「4,500万円?」と、確かな根拠もない状況で伊藤さんが予算書を作ってくれて、4,500万円集めることになりました。

 

 

(Q)話が戻りますが、SVPとの協働が始まる前の時点では、SVPの仕組みなどは分かっていなかったということですか?

(さとみ)はい、プレゼンした時もわかってなかったし、その後、投資先に選ばれましたと言われた時もわかってなかったし、最初の打合せに来た伊藤さんの話を聞いても理解できなかったです。

私たちの今までの概念にない支援の仕方で、しかも「投資先」と言われても、「分配するものもないけれど、どうするの?」という感じでしたよ、本当に。

(雅己)最初、みなさんがお金を出して、さらに動いてくれるというのが、よくわからなくて・・・。

(さとみ)すごく不思議でした。ただで来てくれて、ただで知恵貸してくれて、つまりSVPから「脳みそ」が来るという感じでしょうか。手足は自分たちなのですが、でもそこも私はすごくいいと思いました。

どうやってお金を集めるか、鵜尾さんという脳みそが来て、伊藤さん、私たちでブレストしました。鵜尾さんもまだ、具体的な方向性がある頃ではなくて。

(雅己)鵜尾さんもファンドレイジング協会を立ち上げる前だから、ちょうど実践する場があったという感じだったかもしれませんね。

(さとみ)「勉強させてください」と言ってくれました。例えば、若手女優がろう者の役で出演している映画があったので、広報面で活用できないかというアイデアが出て、試写を見に行って良かったら配給会社にアプローチしようと考えました。試写会を申し込むハガキをみんなで1枚ずつ出して、1組だけ当たったので私と息子で行ったら、「あ、子どもには見せられない映画だった・・・」「あれはダメです」。本当に手探りで、いろいろなことを試しました。

(雅己)毎週木曜日に会議に来てくれて、じゃあ今週は何やろうか? 来週こういうイベントがあるから相乗りしようとか。高級住宅地の住宅に寄付の依頼をポスティングしてはどうか、みんなでお願いの短い手紙を手書きしてみようとか。そして、だんだん知名度が上がっていって、朝日新聞の夕刊に出たのです。1面に。

(さとみ)鵜尾さんの知り合いに女性の記者さんがいて、見学に来ていただきました。だいたい見学に来ると、子どもたちを見て、魂を取られるのです。

いつ新聞に載るのかなと思っていたら、ニュースがあまりない日の夕刊の一面トップです。 大きく、バーンと。子どもたちの写真があって、学校を作るのにお金を集めていますという記事があって、あれは感動的でした。

 

(Q)協働1年目の前半のことですよね。お父さん、お母さんたちが中心だと思いますが、実働は何人ぐらいで活動していたのですか?

(さとみ)30~35家族ぐらいですね。

 

(Q)活動のスケジュールはどういう感じだったのですか?


(さとみ)月に1回の設立準備会で、全ての保護者が集まりました。一方、SVPとのミーティングで1ヶ月のスケジュールや、イベントが先々まで決まっているものがあれば整理して、それを保護者の設立準備会に持っていって、どのイベントに誰が行けるかなど、割り振りをしました。

さらに、ろうの先生たちも準備会に参加して、ろう者のネットワークのイベントや、どういうところに行くといいかアイデアをもらって、それをまたSVPとの会議に持っていく、というような感じですね。

期日が明確にあって、東京都から学校法人の認可が下りた日以降でないと学校設立を公にできない、だから学校設立のための寄付集めを開始できるのは1月1日で、6月の申請までに間に合わせなければいけない。本当に半年で4,500万円を集められるのか?という不安を抱えながら、正月明けに一斉に動き始めたのです。それで結果的に、7,500万円集まりました。

 

(Q)普通に考えると、数千万円集めましょうと言われても、途方に暮れてもおかしくないですよね?

(さとみ)途方に暮れましたよ。でもそれは、伊藤さんも鵜尾さんも最初はそうだったのではないでしょうか。どうしようかと。鵜尾さんはアメリカで大きい金額の資金調達について勉強されていますが、日本とアメリカは違いますよね。日本には寄付文化がないと盛んに仰っていたので、「どうする?」からですよ。

 

(Q)だとすると、なぜできたと思いますか?

(さとみ)最終的に集計して分析したところ、結局、個人が一番多かったです。例えば印象的だったのは、朝日新聞の夕刊トップに載った時に、おばあちゃんから電話があって、「夫が亡くなって、本当にもう何もする気がなかったんだけど、これを見たらこの子たちのためにするのが良いと思ったので、応援させてもらいます」と言って100万円を振り込んでくださったりとか、病院から電話がかかってきて、「新聞を見ました。退院したら必ず寄付しますから、ちょっと待っていてください」とか、そうした個人の方々の気持ちの積み重ねでした。

もちろん保護者やその親戚なども50万、100万というまとまった寄付を出していました。よく集まりましたよね。

 

(Q)寄付を集められたことは大きな成果だと思いますが、SVPと協働したことの価値は何だと思われますか?

(雅己)途方に暮れる状態から、進むべき道を教えてくれたというか、一緒に考えてくれたところでしょうね。私たちだけでは無理だったし。

(さとみ)「自分にできないことは、できる人に任せる」ということを知りました。

(雅己)それが一番かも。

(さとみ)東京都の特区がOKになったのは、当時の石原都知事に公開で直談判したことが突破口になりましたが、それを具現化してくれたのがSVPだと言ってもいいくらいです。あの時期、私は「山が動く」というのを体感しました。すごく大きな山を自分たちが全身全霊で押していて、ズズズと動いて行くような響きを体験しました。伊藤さんも鵜尾さんも同じ体感であってくれたらうれしいです。

その後、私たちの立場が逆転して、相談を受けたり、アドバイスをくださいと言われるようになったのですが、そういうときは必ず「自分たちの分野だけにいてはいけない」と伝えています。

 

 

(Q)なるほど。続いて、協働2年目は何に取り組んだのですか?

(さとみ)その年は、学校の会計を見てもらっていました。学校法人の経験がある会計士さんが決まるまで、伊藤さんに見てもらっていましたね。

(雅己)立ち上がりの時点ではいろいろゼロからで、内規なども作りましたね。

(さとみ)学校が開校した後は、会議も毎週という密なペースではなく、月1回、中学部の開設をどうするかなどについてミーティングしていました。2008年に開校した時点で最高学年が小学校5年生でしたので、2年後には中学部を作らなければいけない。2010年に中学設立、そのために3,500万円のお金をまた集めなければいけなかったのです。

(雅己)そういう意味では、中学部は自分たちで1回目の時を参考にしながらやりましたね。

 

(Q)協働が終わった時点で感じるSVPの価値と、今振り返って感じる価値が違うところもあるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

(雅己)当時、海のものとも山のものとも分からない団体に対して、お金を出して、動いて、知恵を出してくれるのは本当に感謝でしたし、それによって実現できたと思うので、そういう機会に関われたのは有難かったですね。

(さとみ)その後ですよね、プロボノという言葉が出てきたのは。SVPはその走りだと思います。

従来の助成金であれば、事業計画とそれに合った予算書を出して、その事業やプロジェクトに対してお金が付いてくる。ところがSVPは、そうした枠をとっぱらって、しかもその100万円は何に使ってもいいという。これが事業の成功にすごく貢献していると思いました。最初に予算を書いて出しても、やってみなければわからないのに、審査を通ったらその通りに使わなければいけないというのが通常の縛りです。管理する上では仕方ないのでしょうが。

SVPは現場にパートナーが入っているから、100万円のお金の使い道もチェックできる。もしその団体が有効に使えていなさそうだったら、有効に使う提案をその場でできる。そういう新しいやり方をスタートさせたところだと思いますね。

助成金はそれまでいろいろ獲得してきましたが、SVPによって「支援」の概念が変わりました。

 

(Q)SVPの2年の経験は現在の何につながっていますか?

(さとみ)全部につながっています。今まさに、明晴学園は安泰ではないのです。

ろう乳児に対する人工内耳手術が広がっていて、ともすれば、人工内耳を埋め込めば聞こえるようになる、いわゆる健聴児になると思ってしまうのですが、そうではないのです。そうではないことに親が気づくのは、子どもが就学時や小学3年生ぐらいになってからだったりする。

手話は見えるので、難聴児やろう児にとって言語のセーフティーネットでもあるのです。人工内耳を装用してもすべて聞こえるわけではないので、「100%見える手話という言語で母語を育てましょう。そして、耳も使えるなら大いに使えばいい」という発信をこれから強化していかなければいけません。この5年余り、政治的な力も働いて人工内耳に関連する補助金が増え、さまざまな問題があることが語られないまま「重度難聴=人工内耳手術」という流れがほぼ確立しました。でも、それは止められないので、明晴学園がこの後、5年先も続けていけるかどうかという瀬戸際にあります。

そういう厳しい壁にぶつかった時に、SVPのことに回帰するのです。「枠をとっぱらう」ということです。壁にぶつかってどうしようと思った時は、自分から枠を外し、いまいる世界を広げてみる。それがあの20分のプレゼンの「みんなで寄ってたかって、学校を作ってください!」に回帰すると思うのです。

一番の目的を突き詰めて突き詰めていくと、「ろうに生まれた子どもがありのままを尊重されて、自分が自由に使える言語で教育を受けることができて、自分の力を正当に社会が評価してくれる、そういう社会を目指す」ことが大事なのです。そういう社会になっていれば、必死になって学校を作る必要も、学校を継続する必要もないわけです。

例えばろうの息子は、就活で「SEになりたい」とIT企業にアプローチしましたが、ほとんどの会社で門前払いされました。「聞こえないなら無理です。お客さんと商談ができないでしょう」みたいな門前払い。明晴学園の保護者もIT関係者は多いので尋ねてみると、「ろう者にSEは向いています」との意見が多くありました。プログラミングの仕事は仕様書や設計書に沿って行うし、口頭より文字でやりとりする方が正確だと言うのです。そういうふうに社会がろう者との付き合い方を知らず、「聞こえないからできない」と決めつけているのです。ろう者がありのままで、できる方法があることを知らないのです。

 

 

(Q)今後、SVPとあらためて取り組んでみたいことはありますか?

(さとみ)あります。いま、ChatGPTにはまっていて、これを上手く使えないかと思っています。

新生児スクリーニングで、出産から退院までの5日間に聴力検査をします。そこで再検査になると最短でも1ヶ月後に精密検査を受け、そこで重度の聴覚障がいと分かっても、補聴器を付けるのは早くても生後3ヶ月になります。その間に、その保護者に手話の情報を届けたいと思っています。

「聞こえないかも」と分かったお母さんはいろいろ調べます。Google検索や、今はLINEにAIを使った無料のチャットボットもあります。しかし、「子どもが難聴と診断された。どうすれば良い?」と質問を入れた時の回答が、30年前と変わらないような聴覚に関することだけが出てくるのです。そこに「手話や身振りで簡単なコミュニケーションをとりましょう」など、手話関係の説明を入れたい。実際に、それをすれば子育てはずっと楽になります。通じますからね。

補聴器は、補聴器を作らなければいけないし、フィッティングといって音の調整が必要です。人工内耳の手術ができるのは1歳になってからです。でも手話は、お金もかからず痛みもない、リスクは何もなくて、身振りからはじめることができます。私はろう乳児の保護者には、「見た物の形とか動きをそのまま真似ればいいんですよ」と言っています。「おっぱい飲みたい?」「チュッチュッしたい?」とか、そういう身振りからでいいのです。聞こえない・聞こえにくい赤ちゃんに音声だけでなく見てわかるコミュニケーションを取る。大きい声を耳元でかけるのではなくて、目を合わせて「楽しいね」とか「気持ちいいね」という顔をしながら目を合わせて胸をなでたりすればいい。そういう情報を届けたいのです。

 

(Q)最後に、SVPのパートナーに向けてひとことお願いします。

(雅己)協働する団体の方は、そのタイミングで何かをしようとされています。そのタイミングが非常に重要で、その時しかできない経験が絶対あると思いますので、そこに自分の力を出して楽しんで欲しいです。そうすれば、お互いが良い関係になり、予想以上の相乗効果が生まれるのではないかと思います。

(さとみ)投資先のNPOなどに、自分たちでは気づいていない良いところをたくさん言ってあげてください。意外と分からなくなっています。「これはすごいところなのですよ」と褒めてあげてください。あまり褒められることもなくて、壁ばかりなので。

人を「褒めて育てよう」と言うけれども、褒めることで自分が育つのだということを最近、知りました。新しいパートナーも入っていると思いますが、NPOを褒めながら育ててあげることで、それがきっと自分の仕事などにも活かされるのではないかと思います。

 

 

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▼NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BBED)について

1998年に青年ろう者の有志がろう児のためのフリースクール「龍の子学園」を設立。2003年にNPO法人格を取得。2007年に東京都の教育特区として認められ、学校法人を設立するために必要な基本財産として目標額4,500万円の寄付金集めを開始、約1年で1億円を集めた。2008年4月、「学校法人明晴学園」を創設。幼稚部・小学部に続いて、2010年に中学部を開設。

ろう児に対するバイリンガル(日本手話と書記日本語)、バイカルチュラル(ろう文化と聴文化)教育の支援や研究活動、日本手話に関する情報発信などを行う。「聞こえない人」ではなく 「目の人」というプラスの価値観を社会に広げ、ろう児が聴児と同じように力を発揮し活躍でき、ろう児の力が正しく評価される社会をつくることをミッションとする。

 

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▼代表/玉田雅己(たまだ・まさみ)氏

大手通信会社勤務。NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター代表理事。2017年4月から2023年3月まで学校法人明晴学園理事長。

二男がろう児と診断されたことをきっかけに全国ろう児をもつ親の会を設立。高校の「ろう生徒」のためのスマートフォンを用いた遠隔パソコン文字通訳システムの研究により、放送大学大学院修士。

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▼事業統括ディレクター/玉田さとみ(たまだ・さとみ)氏

TBS情報キャスターからラジオディレクターを経てフリーランスの放送作家に。学校法人明晴学園理事。NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター事業統括ディレクター。21年9月から内閣府休眠預金等活用審議会専門委員。

著書『小指のおかあさん』、共著『ろう者から見た多文化共生』『聞こえなくても大丈夫』など。

 

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▼SVPの協働内容の概要

◆協働期間:2007年~2009年

◆協働内容
<ファンドレイズ>
・学校法人の設立と開校に必要な資金の寄付集めのための戦略策定、実行をサポート

<組織体制整備>
・学校法人及び学校の設立・運営に関する支援
・開校2年後の中学部開設に向けた準備の支援